東京六本木ロータリークラブ




東京六本木ロータリークラブバナー
Rotary Club of Tokyo Roppongi
東京六本木ロータリークラブ印刷ロゴ

Weekly Report

印刷を行いたい場合はこちらをクリックしてください 印刷用PDF

「楽しく一緒に気分よく」
東京六本木ロータリークラブ会長
令和6年2月19日発行 第781号
2023・2024年度 No.25

本日のプログラム
令和6年2月19日
卓話『~トップアスリートに学ぶ~ 部下やクライアントから信頼されるリーダーの口ぐせ』
ジャーナリスト/エグゼクティブコーチ 飯田 絵美様
場所:グランドハイアット東京

ご略歴

成城大学 文芸学部文化史学科 卒業

1993年 産経新聞社 入社

新聞社のスポーツ記者として、野球、サッカー、バレーボール、テニス、スケートなど数多くの競技を取材。シドニー五輪、平昌五輪、サッカーワールドカップ、テニス全米オープン、全豪オープンなど世界15カ国28都市を訪れる。「不安や苦しさを抱える人に寄り添う心」「心を開き、長く付き合えるコミュニケーション」を取材の軸に、選手や監督の本音や本質を引き出す力を身に付ける。

プロ野球の名将、野村克也さん、王貞治さんと24年以上、プライベートな親交を結び、「何歳になっても夢と使命感を持つ」「社会とつながる喜びと責任」という“生きる姿勢”を教えてもらう。

2021年、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会へ参画。東京オリンピックでは、バレーボール競技の副ベニューメディアマネージャー、東京パラリンピックではゴールボール競技のベニューメディアマネージャー就任。

スポーツ選手や監督の思考・行動・言葉は、“人生を切り拓く際のヒント、困難を乗り越える勇気”になると気づく。「失敗や挫折からどうやって立ち上がったのか」「与えられた環境でいかに夢をつかむか」「成功する人が大切にしている軸は何か」「土壇場を突破する力」などを分析し、“スポーツ哲学”と名付ける。産業カウンセリング、キャリアコンサルティング、コーチングの資格を活かし、現在は、ジャーナリスト、エグゼクティブコーチとして活動中。リーダーシップや組織マネジメント、コミュニケーション、目標設定、自己肯定、承認などの視点から、ビジネス界や教育機関で講演・研修・カウンセリングを行っている。

著書:『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』(文藝春秋)、『王の道』(メディアファクトリー)、『打たれ強い心の育て方』(PHP研究所)

企画・構成:『野村の流儀』『野村の極意』(ぴあ)、『野村のDNA』(朝日新聞出版)

クラブからのお知らせ令和6年2月5日

会長挨拶

あっと言う間に1月が過ぎ去り2月がスタートしました。2月は短いのでもうすぐ春ということになりそうです。

すでに花粉が飛び散りはじめ花粉症の症状が出始めている方いらっしゃると思います。今や日本人の半分近くがスギ花粉症といわれています。

花粉症が日本でこれほど広がった理由は、国が戦後の復興事業の一環として国が積極的にスギの苗木を植林したことによると言われています。去年の秋に政府は花粉症対策を発表し、スギの伐採や花粉の少ない品種への植え替えを実施し30年後に花粉発生量を半減させる目標を掲げましたが、スギ林があまりにも広大すぎて、全部伐採するには300~500年かかるとの試算もあるようです。まだまだ花粉症からは逃げられそうもありません。

秋津先生は、花粉の飛散が本格的になる2週間ぐらい前から抗アレルギー剤を飲み始めると症状が軽くなるとおっしゃっています。詳しいご相談は秋津先生にお願いいたします。

さて、春先の恒例行事『バギオ交流訪問の旅』が第45回を迎え今週の木曜日に出発となります。今年は当クラブからは淺田さんはじめ角山さん、安部さん、鈴木さん、安井秀行さんの合計5名という大所帯での参加となります。六本木ロータリークラブは参加者数では上位にランクされています。

実りの多い訪問になることを期待し、帰国された後のご報告を楽しみにいたします。

(記:鳥居会長)

幹事報告

  • 来週の例会は建国記念の日の振替休日のため休会となります。
    次の例会は19日となっておりますのでお間違えのない様にお願いいたします。
  • 地区大会の確認です。今月の26日・27日にグランドプリンスホテル新高輪、国際館パミールにて2750地区地区大会が開催されます。本会議は27日13時15分より、クラブの紹介は15時33分より行われますので皆さまのご出席、どうぞよろしくお願い申し上げます。なお26日は月曜日でございますが、地区大会への振替となりますので六本木RCとしては振替休会となりますのでご注意ください。
  • 本日例会後、第8回理事会がございます。理事並びに理事会構成メンバーの皆さまは例会終了後、2階ドローイングルームにお集まりください。

(記:三田幹事)

各委員会報告

ロータリー情報委員会報告

「ロータリーの友」2月号のご紹介です。今月は平和構築と紛争予防月間です。

4ページからはゴードン・マッキナリー会長のメッセージ、また、7ページからの特集「平和は学び、知ることから」では、広島県のインターアクターとパレスチナ自治区ガザ地区の子どもたちが、昨年10月に日本で直接交流した様子が書かれています。まさにその交流の翌日にハマスがイスラエルに攻撃を仕掛け、パレスチナとイスラエルの大規模な紛争が勃発しました。前日に交流した日本の生徒たちは、他人事とは思えず、ガザの子どもたちの安否が気がかりで不安な数日を過ごしたそうです。

お奨め記事は16ページから、昨年ロータリー研究会で行われた千玄室RI元理事のスピーチです。昨年100歳になられた千玄室さん、2年前、私たちのクラブ創立記念例会にもお越し下さりお話いただきましたが、太平洋戦争で特攻隊として配属された鹿児島で、訓練後にお茶を点てて仲間に振る舞ったお話、そしてその多くの未来ある若者たちが沖縄戦で亡くなっていった中、生き延びたご自身の平和への思い、とても心に残る記事ですので是非皆さまにもお読みいただきたいです。

(記:鈴木会員)

国際奉仕委員会報告

国際奉仕委員長の角山です。

今週木曜日(2月8日)より、第45回バギオ訪問交流の旅に行ってまいります。当クラブからの参加者は、淺田バギオ基金会長、安部さん、鈴木さん、安井秀行さんと私の5名です。現地にて大いに交流の実を上げて参りたいと思います。帰って来ましたら、また報告させていただきます。

(記:角山国際奉仕委員長)

その他報告

コーラス同好会のお知らせ

先週お渡ししました「コーラス同好会からのお知らせ」の日程に訂正がございます。

2/26は通常例会が地区大会に振替になりますので、コーラスの練習はありません。

先週の週報には訂正したものを載せております。

(記:劒物会員)

米山奨学委員会報告

米山奨学生の金さんに奨学金をお渡ししました。

米山奨学生、金秀彬(キムスビン)

(記:三田幹事)

能登半島地震邦楽チャリティーイベントのご案内

この度、主催:能登の受験生応援プロジェクト、後援:金沢百万石ロータリークラブ、北国新聞社により能登半島地震邦楽チャリティーイベントを開催する事になりました。能登の未来を担う学生たちに思いを寄せていただきたいと思っております。お寄せ頂いた志は学生の支援活動を続けている団体及び石川県教育委員会に寄付されるそうです。期日は2月16日金曜日午後6時から7時、場所は東急プラザ表参道原宿6階おもはらの森です。後ほど事務局より皆さま宛にメールでもご案内いたします。

(記:三田幹事)

エンジョイゴルフご案内

春のエンジョイゴルフですが、候補日の内、4月2日と12日が、現時点でほぼ同数の参加希望者がいらっしゃるので、悩むところですが、諸般の状況を勘案しまして、4月2日に決定いたます。2日はご都合の悪い方には、申し訳ございません。

調整さんに参加可能日を入れていただいた方で、4月2日が可能でありました方も、角山に個別に申し出戴いた方も、この日をエンジョイゴルフの日としてご予定ください。また、まだ申し出戴いて無い方も、ご参加ご検討くださいまして、角山までお申し出ください。

よろしくお願いします。

(記:角山会員)

2023-24年度 第8回理事会議事録令和6年2月5日

日時:
2024年2月5日(月) 13:35-14:30
場所:
グランドハイアット東京2F「ドローイングルーム」
出席者:
〈理事〉鳥居・鈴木・岩成・松島・三田・宮永・谷口
〈理事会構成メンバー〉堀井・今村・髙栁・平川(議事録)
欠席者:
小篠・齋藤・池田・今村

(敬称略)

三田幹事より開会の辞、鳥居会長より開会の挨拶があった。

【審議事項】

細則第4条第5節 理事会の定足数(理事会の定足数は、理事総数の過半数とする)に基づき理事9名出席7名につき過半数の出席により理事会は成立した

①休会者について
三田幹事より、日下部会員から2024年4月より2025年3月まで休会したいと申し出されている旨報告があり、休会期間が期をまたぐ場合の休会の取り扱いについて審議された。期をまたぐ休会の理由は、弁護士として所属している東京第二弁護士会の会長にこの期間就任することになり、多忙により例会に出席出来なくなるため。
支払い済みの会費(2024年1月~6月分)は月割りで休会の期間を除いて、次年度分とすれば宜しいのではないかとの意見がでた。
小笠会計から第3四半期の決算時にこの考えかたを反映した予算資料をご提示いただくことになり、日下部会員の休会と月割りでの会費処理で対応することが満場一致で承認された。

【報告事項】

①第2四半期決算報告について
小笠会計より第2四半期の決算資料についての説明・報告があった。

②ピアノ演奏者報酬について
三田幹事より、ピアノ奏者の報酬を上げても宜しいのではないかとの意見が、会員より出ているので意見を伺いたい旨話があった。
値上げを検討するのは良いが、報酬基準(演奏費用+交通費見合いなどの内訳や値上げ率など)を再度決めた方が良いのではないかなどの意見が出、来期からの値上げを視野に会長と幹事で報酬基準の原案を提示することとなった。

以上

(記:三田幹事)

卓話『シェフのヨーロッパ奮戦記 ヨーロッパ修業時代』令和6年2月5日

ドイツ食文化研究家 野田 浩資様

ドイツ食文化研究家 野田 浩資様

わたしは1947年8月、東京は品川で生まれました。六本木の東京日産ビルにありましたチェコスロバキアレストランのキャッスルプラハで働いていましたが、マネージャーの紹介で25歳の時にヨーロッパに渡りました。1973年、ちょうどオイルショックの真っただ中で、360円の為替が変動相場制になった年です。日本の経済が高度成長をし始めた頃でしたが、ヨーロッパではまだ日本人はよく知られていませんでした。日本の商社マンはたくさん行かれていましたが、わたしのように料理の修行で行く人は非常に少なかった時代で、また飛行機が非常に高かったことから、わたしは横浜からソビエトの船に乗り、5日間かけてドイツへ行きました。

ドイツでは3本の指に入るフランクフルトのフランクフルター ホフというホテルで調理師として配属されました。調理場には50人近い人間がおり、フランスやイギリス、イタリアなど、様々な国の人たちが一緒に修行をしていました。ですからトラブルも多く、いざこざに巻き込まれることもありました。また言葉も分からないわたしでしたので、ナッツを投げつけたり、お尻をつねったり、蹴とばしたり、足を踏んだり、そのようなことは日常茶飯事で、常に我慢の連続でした。カチンときて手が出てしまったこともあります。ヨーロッパに行く前は手を出したら強制送還になると言われていたので非常に心配しましたが、なんのお咎めもありませんでした。小さい日本人にやられたとは言いにくかったのだと思います。貸したお金が返ってこなかった時には調理場の裏でボディに一発入れたこともありました。実はわたしは元プロボクサーで、小さくても腕には自信があったし、負けん気も強かったのです。ある時殴り合いの喧嘩を止めて2人を投げ飛ばし、空手マンだという噂が流れたこともあります。ちょうどブルースリーの映画が全盛だった頃でした。

いざこざの多さ、また親しくしていた人が辞めてしまったことで、わたしもフランクフルター ホフを1年で辞め、料理の王様と言われていたエスコフィエとリッツが経営していたサボイホテルと契約をしました。しかし外国人枠がないので労働許可が取れないと言われ、働くことができませんでした。それからベルギーで働いている日本人の紹介で仕事が見つかり、絶対にビザが取れると言われて契約をし、ベルギーに行くことになりました。しかし1974年の9月13日、ドイツの赤軍がオランダのハーグでフランス大使館を乗っ取るという事件が発生し、日本人に対するビザが取れなくなってしまったのです。すでにビザは切れているので焦りました。もぐりで働けるレストランを探して働きだしましたが、やはり労働許可がない人間を雇うとレストラン自体が罰を受けることになるので、1ヶ月で辞めることになりました。その後デュッセルドルフにあるフランクフルター ホフの姉妹ホテルであるパークホテルで働き始めました。その後も3ヶ月、1年のビザが取れたのですが、パークホテルの社員寮があった場所は治安が悪く1年半で辞めることにしました。ここでもいざこざがありまた手を出してしまいましたが、彼は「俺にボクシングを教えてくれ」と言い、いい友達になりました。デュッセルドルフは日本の商社が多く日本人が一番多い町で、周りのドイツ人も日本人に対する見方が全然違います。そういう面では非常に生活しやすい場所でした。

当時仕事を探すには、紹介か手紙を出すという手段しかありませんでした。今は日本人というと喜んで働かせてくれますが、当時日本人は魚を生で食べる野蛮人だと言われることが多く、日本人の料理人はやはりすごく下に見られていた時代でした。

あちこちに手紙を出し、ブリュッセルの有名なホテルで働くことになりましたが日本人に貸す部屋はないと言われ、ここでも人種差別を感じました。最終的に日本に行ったことがあるというオーナーの家に住むことになり、1年を過ごしました。その頃デュッセルドルフで殴って仲良くなった彼がわたしを追いかけてブリュッセルに来て、有名なシェラトンホテルで働きだしたことから、わたしも契約が終わってからシェラトンホテルで半年間働くことにしました。シェラトンホテルはシェフがドイツ人、副料理長がスイス人で、インターナショナルでした。上に立つ人が外国人だと、他の外国人に対しても思いやりがあるのです。次に行ったモナコでは、オテル ド パリという世界的に有名なホテルで、夏場の3ヶ月だけ営業するモンテカルロスポーティングクラブのレストランで働いたのですが、そこでの送別会の際にもらった色紙にベルギー人が「外人帰れ」という日本語を書きました。歴史的に支配された経験があるので、外国人が嫌いだったのだと思います。その後ムーベンピックというスイスで一番大きなレストランチェーンが日本に進出することが分かり、スイスのチューリッヒに行きましたが、スイスもベルギーと似ていて、やはり親しくなっても親しくないような印象を受けました。中立国で周りの国が戦争ばかりしているので、外国人が嫌いだという感覚があるのだと思います。同じヨーロッパでもなかなか一つになれないのは、色々な背景があるのだと思います。一度ドイツ人とスイス人の喧嘩があり、最終的にスイス人が出す言葉はヒットラーでした。「お前の国にはヒットラーがいた、お前は国に帰れ」ドイツ人はもう何も言えません。歴史の怖さをすごく感じた出来事でした。

1982年に新宿のセンタービルにドーム型のレストランムーヴェンピックがオープンし、初代シェフとして働きはじめました。その後はスイスにいた当時のマネージャーが東京のアメリカンクラブに入ったことがきっかけでわたしもアメリカンクラブに行き、2年後には世田谷に自分でビストロをオープンしました。ちょうど日本でビストロがブームの時で、色々な雑誌でもビストロやシェフがクローズアップされていた頃です。ドイツ語、英語、フランス語、日本語でメニューを書いていたら外国の方が多く来るようになり、そのうちにドイツ文化会館の首脳から、ドイツ文化会館のカフェを、ドイツ文化を紹介してくれる人に貸したいというお話をいただき、そこで初めて本当にドイツ料理というものを勉強するようになりました。それから2年後にベルリンの壁が崩壊し、次の年にドイツ統一1周年記念パーティーを任されることになりました。その後はメルセデスベンツから、本社があるビルに出店するようにとのお話があり、ツム・アインホルンというレストランで28年、そして昨年わたしはリタイアをした次第です。

やはりわたしも最初は色々な国、色々な人種の坩堝で常に危機感を感じていました。その国の事情を知るにはその国の言葉をある程度知らなければいけませんし、自分の中では戦争だという気持ちでやってきました。

料理の修行はとても厳しく、しかしその中で生き残ることができた人たちが今でも生き残れているのかなと思っています。

本日はご清聴ありがとうございました。

ニコニコBOX情報

秋津 壽男さん

どうやら雪はつもらないけはいですね。

淺田 豊久さん

金沢百万石RC後援で「能登の受験生応援プロジェクト」の催が発信されました。メールで事務局から送信しますのでご協力お願い致します。

岩崎 博充さん

今日は大雪です。早く帰宅します。

柏原 玲子さん

野田浩資様、本日の卓話楽しみにしております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。

松島 正之さん

早くも”きさらぎ”になりました。厳寒ですが、白梅が咲き始めています。

森 佳子さん

野田さま、本日は卓話を楽しみにしております。

小笠 裕子さん

野田浩資様、本日の卓話、楽しみに参りました。どうぞ宜しくお願い致します。

大橋 裕治さん

野田浩資様、本日の卓話どうぞよろしくお願い申し上げます。

鈴木 聡子さん

寒いですね。今週木曜日からフィリピンバギオに行って参ります。

高倉 太郎さん

今日は雪の予報です。足元に気を付けましょう。

鳥居 正男さん

今日は雪の予報ですので外出のご予定がある方は、ころばないようにお気をつけ下さい。野田様卓話ありがとうございます。

渡辺 美智子さん

秋津先生、著書頂きました。長生きする人の習慣学びます。

2月5日 合計 30,000円 累計 779,450円

2月5日のお食事

2月5日のお食事

2月5日の例会出席率(暫定)

  • 会員の例会出席数(出席率) 37名(69%)
  • ゲスト・ビジターの参加者数 1名

※メーキャップを含めていない暫定の人数です。

次回のプログラム

令和6年2月26~27日
地区大会
令和6年3月4日
卓話『未定』
NPO法人ロシナンテス 理事長 川原 尚行様
場所:グランドハイアット東京



▲ PAGE TOP