Weekly Report
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「つなげようロータリーの
! 」(=和・輪)
東京六本木ロータリークラブ会長
令和4年2月28日発行 第700号
2021・2022年度 No.27
卓話『現代アートのマーケットについて』
小山登美夫ギャラリー株式会社 代表取締役社長 小山 登美夫様
場所:グランドハイアット東京
ご略歴
1963年東京生まれ。1987年東京芸術大学芸術学科卒業。1987年~1989年までに西村画廊勤務。1989年~1995年まで白石コンテンポラリトでの勤務を経て、1996年に江東区佐賀町に小山登美夫ギャラリーを開廊。
奈良美智、村上隆をはじめとする同世代の日本アーティストの展覧会を多数開催した後、現在は世代を超えて、菅木志雄や蜷川実花、杉戸洋、三宅信太郎、福井篤、川島秀明などを展示。また、国外アーティストのリチャード・タトルやステファン・バルケンホル、トム・サックス、ライアン・マッギンレーなどを日本に紹介する。また、オープン当初より、バーゼル、マイアミ、ロンドン、香港などのアートフェアへも積極的に参加。日本アーティストの実力を世界に知らしめるとともに、マーケットの充実と拡大を模索し、若手アーティストの発掘、育成にも力を注ぐ。
2016年10月に六本木にギャラリーを移転。2007年よりアートアワードトーキョー丸の内審査員。現在、日本現代美術商協会代表理事。著書に「現代アートビジネス」(2008、アスキー新書)、「この絵,いくら?」(2008、講談社)、「何もしないプロデュース術」(2009、東洋経済新報社)、「見た,訊いた、買った古美術」(2010、新潮社)。「“お金”から見る現代アート」(2015、講談社)
クラブからのお知らせ令和4年2月14日
会長挨拶
皆様こんにちは。
前回、前々回と例会をWebにて参加させて戴きました。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。
北京オリンピック、いろいろ問題もあったようですが、競技が進み、メダルが増えていくにつれて盛り上がってきました。とりわけ圧巻だったのはスノーボード男子ハーフパイプで金を獲得した平野歩夢選手。密かに練習してきた世界初の新技に挑み、見事に金を獲得しました。
オリンピックでは高梨選手の問題、羽生選手の挑戦などいろいろ話題となりましたが、私たちに多くのことを教えてくれているように思います。皆さんは、どのようにお考えでしょうか。
本日は岩崎博充氏のイニシエーションスピーチがあり、とっても楽しみです。宜しくお願い致します。
(記:柏原会長)
幹事報告
- トンガ王国災害支援金について
トンガ王国への災害支援金のご寄付ですが、募金受付は本日までとさせて頂きますので、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。 - 来週の例会について
来週21日は、先日来お伝えしておりますとおり、予定どおり休会となります。
また、地区大会も5月に延期となっております。お間違えなきよう、お願いいたします。
以上
(記:高倉幹事)
その他報告
新入会員紹介
新入会員として日向 理元(ひなた まさもと)さんを紹介させていただきます。
日向さんは私の前職の金融機関でご一緒させて頂いた時からお付き合いさせて頂いており、その後、日向さんがワイナリー経営をゼロから立ち上げられるということでそのお仕事をサポートさせて頂いております。
ワイナリー経営を立ち上げられるにあたって日本においては葡萄の苗木の供給不足問題に直面され、それを解決されるために苗木栽培業者を買収されてその事業にも参入されていらっしゃいます。
ワインの詳しい人は多くいらっしゃると思いますが、その原点である苗木栽培から知識・経験を持っていらっしゃる人はあまりいらっしゃらないかと思います。日向さんと一緒にワインを飲む際にはそれぞれのワインの知識をまとめてご説明いただけるので大変勉強になります。
東京六本木ロータリークラブにふさわしい新メンバーと確信しております。何卒、よろしくお願いいたします。

(記:谷口会員)
2021-22年度 第8回理事会議事録令和4年2月7日
- 日時:
- 2022年2月7日(月) 例会終了後(13:30-13:50)
- 場所:
- グランドハイアット東京2F「レジデンスバジル」
- 出席者:
- 〈理事〉柏原(リモート)・今村・鳥居・三田・高倉・齋藤・小篠
- 〈理事会構成メンバー〉淺田・高栁・中川・谷口・堀井(記)
- 〈欠席者〉山中・鈴木・山本
(敬称略)
高倉幹事より開会の辞、柏原会長(リモート)より開会の挨拶があった。
【審議事項】
理事総数(9名)の過半数以上が出席のため、当クラブ細則第4条第5節により、理事会は成立した。
- 第1号議案2023-24年度2750地区の地区役員就任依頼の件
地区幹事として齋藤明子氏の就任依頼があった。全員賛成であったので、議案は可決された。
【報告事項】
- 2021−22年度第2四半期の決算について
中川会計より別紙の通りご報告があった。特に大きな指摘事項となし。(別紙参照) - 今後の例会日程について
2月21-22日に予定されていた地区大会が5月12-13日に延期となった。
当該クラブは、当初予定どおり2月21日は休会、5月9日は例会開催となる。
4月21日の山の手東グループの合同例会は人数を200名程度としてオンライン併用で開催予定。感染症拡大状況次第では完全オンライン開催もありうる。2月20日ごろに最終的な開催方法を共有したい。 - 新会員の日向理元(ひなた まさとも)氏のメンターは渡辺美智子氏が担当することとなった。10 for 2の日程・方法等は感染状況を見極めながら決定する。
以上
(記:高倉幹事)
卓話『シンガポールの食文化と食の外交』令和4年1月24日
駐日シンガポール共和国大使 ピーター・タン様
シンガポール大使の大事な仕事は日本とシンガポールの関係を深めることです。特に日本の皆様にシンガポールをもっとよく理解してもらうためには、文化の宣伝がとても大切です。
人との付き合いで、男性でも女性でも人の心を掴むにはまずは、胃袋からとよく言われます。二国間の外交でも同じです。まさかキッチンが外交の舞台になるとは思わないでしょう。しかし食べ物はグローバルな外交で、益々大事になっています。食べ物を通じて個人と社会が互いに関わっています。ですから、食の外交で私はシンガポールの多民族で多様な文化を皆様に知っていただきたいです。
シンガポールの食文化についてですが、初めにシンガポールはいろいろな文化が溶け合いフードパラダイスと呼ばれています。中国系と西洋の融合はシンガポールの食文化を多様で豊かにしました。シンガポール人は中国系、マレー系、インド系、プラナカン、 ユーラシア系で構成されます。いろいろな民族文化の融合と出会いが、シンガポール特有の魅力になりました。シンガポールでは世界各国の料理を楽しむことができます。
2番目にシンガポール料理は、シンガポールの民族の豊かな食文化を地元料理にうまく取り込んでいます。中国系、インド系、マレー系そして西洋の料理の特徴はシンガポールの食文化に大きな影響を与えています。
3番目にシンガポール人はスパイシーな料理が好きなので、辛く、スパイシーなレストランがたくさんあります。スパイシーな料理の多いマレー系やインド系の影響と言われています。また、唐辛子は余分な脂肪を燃やすと言われているので、健康のためにスパイシーなものを食べています。
4番目にシンガポール料理には麺、米、シーフード、いろいろな肉が使われます。有名なシンガポール料理にはハイナンチキンライスやラクサなど、肉を入れた米や麺の組み合わせが多いです。シンガポール人は鶏肉、豚肉、牛肉が好きです。また、シーフードも有名でチリクラブ、ブラックペッパークラブなどがあります。
5番目にシンガポールのユニークな食文化にホーカーセンター、いわゆる屋台があり、地域の食事の場となっています。いろいろな屋台があり、それぞれ名物があります。共有のスペースもあり、屋外の屋台で多文化のいろいろな料理が楽しめます。ホーカーセンターはシンガポールのあちこちにあり、地元の人たちの食堂になっています。ホーカーフードは多文化から生まれ、シンガポール人の好みに合わせてきました。多くの料理がシンガポールの食と文化そのものになりました。
ホーカーセンターはシンガポールの多様な食文化を体験する最適な場所で、あらゆる料理を楽しむことができます。シンガポール人の特徴の一つは、食への深い愛です。シンガポールのホーカー文化はホーカー料理を作る人と、それを共有スペースで他の人と一緒に食べる人が作る伝統です。人と国としての多文化のアイデンティティです。シンガポールの全ての人たちと響きあっています。シンガポールの生活の中心であり、様々な人たちがホーカーセンターに集まり食事をし、ホーカーが作った料理で絆を深めます。シンガポールの多文化社会を繋ぐ、網の目のような社会の交わりの場所です。
国際的にもホーカー文化はユネスコ無形文化遺産に登録されました。それは、シンガポールの誇りです。
コロナで国境は閉鎖され、人と人との交流は制限されています。テクノロジーを使ってミーティングはできますが、対面はかないません。今日は皆様にシンガポールの食文化を紹介しました。国境が再開したら是非シンガポールにいらっしゃって、シンガポール料理を味わってください。
ご清聴ありがとうございました。
卓話『占領下のナースたち・「命の恩人花田ミキさんのこと—映画化を目指して」』令和4年1月31日
映画監督 五十嵐 匠様
映画監督の五十嵐です。30年前に「兼高かおる 世界の旅」という番組で仕事をしており、兼高さんの事務所がある六本木に1,2年通っていました。夜は煌びやかで綺麗な街ですが、朝はカラスが多くざわざわしていて、裏と表があるなというのが六本木の印象でした。兼高さんは、体調が悪い時も「わたしの体がどうであれ作品には関係ない」と言うようなものすごく強い人で、そして優しさを持っている人でした。六本木でこうしてお話できる機会をいただき、強さと優しさが魅力であった亡き兼高さんのことを思い出します。
現在映画監督協会にはおよそ520名の会員がいますが、その中で映画館にかかる劇場用映画を撮っている監督は数が少ないように思います。僕は一時期、職業に映画監督とは恥ずかしくて書けませんでした。10本劇場用映画を作ったら初めて映画監督と言っていいのではないかと師匠に言われ、今回の沖縄の戦争映画(新作映画「島守の塔」)で13本になり、60歳を過ぎてようやく映画監督と言ってもいいかなと思っています。
今回のテーマは花田ミキさん、青森で有名な、保健師であり看護の人です。僕がここに立っていられるのは花田さんのおかげです。僕は2歳のころ、青森県の奥羽線という弘前と青森を結ぶローカル線で突然ひきつけを起こして呼吸が止まってしまいました。お医者さんはいませんかと走り回る母の元へ一人の女性が突然出てきて、舌を噛まないように僕に割り箸を噛ませました。浪岡という駅で電車を止めて、自衛隊のジープを借りて病院に連れて行ってくれた女性が花田ミキさんです。それ以後50歳になるまで、僕は花田ミキさんが何をやっている人かを知りませんでした。看護師で賞をとったことがある人だということは知っていましたが、調べる機会がありませんでした。ある日、東奥日報という地元紙の方から連絡があり、花田さんが僕を助けてくれたという記事があることを知り、「匠ちゃん愛のリレー」という見出しの新聞記事をメールで送ってくれました。僕は自分の命の恩人を知りたくなり、もっと言ってしまうと、映画人としてなにかプラスになることが出来ないか、恩返しをしたいと思いました。
1949年、戦後4年経った頃、青森県の八戸市でポリオの集団感染が発生しました。しかしその当時はワクチンもないし、どうしようもない。その時に花田ミキさんが何をしたかというと、りんごを一籠ぶら下げて、東京のGHQ占領軍に行くわけです。そこで初代の公衆衛生福祉局の初代看護課長オルト・グレースと出会います。
オルト・グレースは、メリーランド州のボルチモア出身で、ジョンズ・ホプキンズという看護学院を卒業しています。終戦後に日本にやってきて看護と保健がどうなっているのかを調べ、日本には教育の水準や資格取得に関する基準がなく、看護職の職業団体が看護職ではない男性によって運営されていることを知ったオルトは、看護教育審議会を発足させ、そして赤十字病院の中に東京看護教育模範学院を作りました。そのオルトと花田さんは出会ったわけです。
1930年代から50年代にアメリカでポリオが蔓延しました。同じくその頃オーストラリアでは、学校にも行っていない、独学で学んだ看護師が確立したケニー療法により、ポリオをある程度抑えることに成功していました。当時ポリオは運動禁止、関節は固定、動かさないことが療法の一つでしたが、ケニー療法は、ホットパックを使って温熱療法をし、同時にベッドの上で運動療法、リハビリに近いことをするわけです。オルトはケニー療法の資料を花田さんに渡しました。花田さんは、そこから1人で東京大学へ行き、学生に翻訳を頼みます。学生が徹夜をして訳してくれた資料を持って青森に帰り、八戸の赤十字病院でケアを始めました。また東奥日報社に掛け合って家庭でのポリオ療法を新聞に載せ、青森県中の人に療法を伝えました。それと同時にオルトからもたらされたものは、学校、教育が必要だということです。花田さんは中国で従軍記者経験があった当時の竹内知事に掛け合い、青森県立の病院設立をきっかけに高等看護学院を作ることになりました。しかし新聞の募集にはたった一人しか応募がなく、手作りの紙芝居を作り、看護学校に入ってくれないかと青森県中の高校に紙芝居を見せに行き、結果的に50名以上の生徒を集めました。
そのような人であった、自分の恩人である花田ミキさんをなんとか映像化できないかと思い、計画を進めています。今コロナの状況が非常に厳しく、もし今花田ミキさんが生きていたら何をしただろうかと思うわけです。おそらく曖昧なことはしない。一人でなにか明解なことをやったのではないかと思います。
今回光栄な機会をいただき、皆様のおかげでこうしてお話をさせていただいています。僕がいつも思うことは、映画は1人ではできず、人の縁だということです。縁がなければしょうがないと思うしかない。その縁を追う必要はなく、しかし一生懸命なにかをすると、必ず人の縁ができてくるのではないかと思っています。僕は今まで実在の人物を多く描いてきました。嫌いな人は描けませんが、嫌いな人でも好きなところがあれば描けるわけです。人間というのはやはり真っ黒ではなくて、白いところもあればグレーなところもある。僕の前作の「二宮金次郎」という映画でも、二宮さんはお百姓さん達が本当に働いているかどうかのぞき穴から見ていたという話を聞き、また、銭湯へ行った時のお金やおしろいの値段など、そんな細かいことまで家計簿に書いていたことを知り、そこが魅力的で映画になると思ったのです。二宮金次郎というと修身の教科書で非常に教育的な匂いがしますが、二宮さんはそうではなく、もっと泥臭い、非常に魅力的な人間だったと思います。彼の思想というか、分度、つまり身の丈で生きるとか、そういうところが僕としては興味深く思い作りました。全国で上映しようと動いていましたが、コロナがあり77ヶ所延期キャンセルと大変な状況になりましたが、今少しずつ少しずつ全国に広まっていこうとしています。
映画監督という仕事は職業としては非常に厳しいですが、個人としては非常にやりがいのある、人との繋がりがある、もっと言ってしまえば、100年200年自分の作品を遺すことができる、意義のある仕事だと思っています。今年は沖縄復帰50年で、スタッフ一丸となって「島守の塔」という映画を作っています。かつて映画「ひめゆりの塔」に出演なさった香川京子さん、萩原聖人さん、村上淳さん、吉岡里帆さん、他、魅力あふれるスタッフキャストと共に全力で作っていますので、観ていただけると嬉しく思います。
本日はありがとうございました。
岩崎 博充会員 イニシエーションスピーチ令和4年2月14日
岩崎博充です。イニシエーションスピーチをさせていただきます。
私は今ワクチンで毎日のようにメディアに取り上げられているファイザー社にほぼ半世紀お世話になりました。40年間勤務後一旦リタイヤしたのですが日本法人で労使問題が起きたために復帰をしました。本日は30分時間をいただきましたのでわたしの復帰の顛末を自己紹介の中で話したいと思います。その前に六本木ロータリークラブに入会させていただいた事をとてもうれしく思います。家族的な雰囲気があり、食事も美味しく、また興味深い卓話が多く、ご紹介下さったゴルフクラブの仲間の淺田さんと医薬品業界で長年付き合いのある鳥居さんに感謝申し上げます。六本木ロータリークラブに入会してまだ数か月ですのでこの機会に私を知っていただき皆様と親しくなれればとおもいます。
私は生まれは姉弟全員中国天津で終戦後日本に引き揚げてきました。中高大は運動漬けの生活をしてきました。私の趣味はゴルフです。10年前所属倶楽部のキャプテン杯で優勝した時は決勝を土砂降りの雨の中、六本木ロータリークラブの鈴木聡子さんのお父さんと2ラウンド競ったのは懐かしい思い出です。蕎麦打ちは25年くらい前に下町の蕎麦屋さんで店が閉まった後に1年ほど修行しました。麻布十番の更科堀井さんのそば粉を分けてもらい暮れには10名くらいの方々に年越しそばを送り続けたこともあります。もう一つの趣味陶芸は15年ほど友人の藤沢の陶房でやってます。私は現在医療関連の医療系コンサルタント、投資ファンド、医薬品・食品メーカーなど川上から川下の会社に携わっております。主な仕事は社長の話し相手です。私の出身ファイザー社は約170年前にスタートした企業で最初は鉄鋼、医薬品、化粧品、動物薬品、食品、化成品など様々な事業をやっていました。昨年ジェネリック事業部門を切り離して免疫性疾患、がんやワクチンなどブレークスルー医薬品に特化した企業になりました。ファイザーの日本法人は70年の歴史があります。私が入社したのは1966年で当時の台糖ファイザー社のトップはハーバード大出身の若い社長でした。この社長が発案した米国留学中の日本人留学生を採用するリクルーティングチームとシカゴで面接して入社しました。入社してからは3度の海外や国内の様々な部門を経験させてもらいました。ロータリーのガバナーだった紫野巌さんが20年間社長を務めた時代は最も日本企業の文化を持つ会社と言われてきましたが、ファイザー社の100%子会社になり会社も大きくなるにつれて社風も変わりました。私は2005年に当時のオーストラリア人社長と共に専務として退任、新社長に就任した元フランス・ファイザー社長が日本では認められない指名解雇を発表して大きな労使紛争に発展しその結果私が会社に新社長として戻ることになりました。紛争の発端は世界で100億ドル以上稼ぐ主力6薬品の特許が2006年に切れるのを想定した本社が掲げた世界で40億ドルのコスト削減にこたえるため日本法人で300名の指名解雇を発表しその結果職場に不信感が広がり労組は「増収増益で首切りは違法」と闘争に動き社員は異動を拒否し、指揮系統をうしなった職場は大混乱しました。当時日本の医療用医薬品市場でシェア—トップのファイザーで起こった紛争は大きくメディアに取り上げられました。ファイザーの海外のOBに良く聞かれる質問は“折角リタイヤしたのになぜ復帰したのか?“でした。それは会社が社員の信頼を失い、3つの新薬発売を前にして待ったなしの状況だったことと他社から誰が入っても早期解決ができないという思いと、当時の本社CEOハンク・マッキンネルの“お前しかいない”という説得でした。そして復帰してすぐ取り組んだことは10項目の取り組みからなる「100日プラン」を2週間で準備しユニオン、管理職、全役員の支援を得て紛争の終結と営業活動の正常化そして社員の信頼を回復することでした。ユニオンとは30日後には団交を終結しました。実は翌年ファイザーが全世界で1万人削減するという大きな発表があり再びユニオンと協議を重ね700名の削減と創薬研究所の閉鎖を実行しました。希望退職は優秀な人材を失うリスクと計画以上の人員を失うBCP(事業継続)上のリスクがありましたが前年の労使紛争の経験があったためユニオンの協力で難局を乗り越えました。私は半世紀にわたってファイザー社一筋にジュニア社員から本社のSMT(senior Management Team)の一員として過ごしてきました。ファイザー社は圧倒的な規模、資金力、大胆な改革力そして全世界の文化も言語も異なる社員のベクトルを同じ方向に向かわせる価値基準と行動規範の実施によって患者の生活を大きく変えるブレークスルー新薬を世に出してきました。一方大胆な度重なる企業買収によって企業イメージに問題が生じたり、徹底した組織の縦割化とグローバルレベルの社内公募制度で人材育成に齟齬が生じかねません。この部分が日本法人トップの課題でありチャレンジです。日本の大半の外資製薬企業は外人がトップを担っています。欧米の数々の製薬企業のトップを務められた鳥居正男さんも数少ない日本人です。ファイザー日本法人に赴任する外人社長は世界中の事業拠点から選ばれた優秀な人材です。日本人にはない着眼点をもち彼らから学ぶことは非常に多いとおもいます。しかし限られた滞在期間に成果を出すことが求められ私の前任者のように短期間に成果を出そうとして失敗する人もいます。私の後は続けて日本人が社長を務めていますが立派にこなしています。外資企業のトップには外人が良いか日本人が良いかを問われれば日本の文化や労務慣行を理解し長期的視点で企業の発展と組織の活性化を図れる人材であれば国籍は問題ないと思います。私のファイザーの半世紀は波あり谷ありでしたがおかげさまで無事卒業することができました。人生は才能10,努力20、運70とよく言いますが私は運がもたらした様々な方との縁のおかげだと思います。六本木ロータリークラブ入会の縁を楽しみにしています。
慶事会員一覧
2月のお誕生日
| 2月10日 | 安井 悦子(やすい えつこ)さん |
| 2月11日 | 池田 泰義(いけだ やすよし)さん |
| 2月17日 | 今村 道子(いまむら みちこ)さん |
| 2月21日 | 鈴木 聡子(すずき さとこ)さん |
| 2月26日 | マークエステル・スキャルシャフィキさん |

ニコニコBOX情報
安部 義彦さん
岩崎博充さん、イニシエーション・スピーチ楽しみにしておりました。
淺田 豊久さん
岩崎さんのイニシエーションスピーチ楽しみにしております。頑張って下さい
池田 泰義さん
ひさしぶりの例会。たのしみです。みなさまも体に気をつけて下さい
岩崎 博充さん
本日のイニシエーションスピーチをさせていただきますのでよろしく。
柏原 玲子さん
東京六本木RC、本日の例会で700回目となります。心を込めて点鍾したいと思います。岩崎博充さん、本日のイニシエーションスピーチ楽しみにしております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
松島 正之さん
皆様、お久しぶりです。すっきりした気持ちで春を迎えたいと思うのです。
大橋 裕治さん
岩崎様のイニシエーションスピーチを楽しみにしておりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
杉本 潤さん
岩崎さん、本日のイニシエーションスピーチ、楽しみにしています。
鈴木 聡子さん
岩崎さんのイニシエーションスピーチ、ご入会された時から楽しみにしておりました。よろしくお願いいたします。
谷口 郁夫さん
バレンタインデーですね。岩崎様、イニシエーションスピーチをよろしくお願いいたします。
鳥居 正男さん
岩崎さんのイニシエーションスピーチ楽しみです。
宇佐見 千嘉さん
700回目の例会おめでとうございます。又、岩崎様のイニシエーションスピーチを楽しみにしております。
安井 悦子さん
岩崎博充さんのイニシエーションスピーチを楽しみにしております。
2月14日のお食事

2月14日の例会出席率(暫定)
- 会員の例会出席数(出席率) 35名(70%)
- ゲスト・ビジターの参加者数 0名
※メーキャップを含めていない暫定の人数です。
次回のプログラム
令和4年3月7日
卓話『未定』
写真家、エッセイスト 稲田 美織様
場所:グランドハイアット東京