Weekly Report
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気軽に、チャレンジ、Rotary
東京六本木ロータリークラブ会長
令和3年4月19日発行 第666号
2020・2021年度 No.30
卓話『築地本願寺の経営改革』
浄土真宗本願寺派築地本願寺 代表役員宗務長 安永 雄彦様
場所 グランドハイアット東京
- ご略歴
- 慶應義塾大学経済学部卒業
- ケンブリッジ大学大学院博士課程修了(経営学専攻)
- 三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行
- その後、外資系大手エグゼクティブ・サーチ会社ラッセル・レイノルズなどを経て、
- 2004年 島本パートナーズへパートナーとして入社(現在 取締役会長)
- 2004年 社会人向け専門職大学院であるグロービス経営大学院の専任教授として人材マネジメント、経営道場などを担当
- 2015年7月 浄土真宗本願寺派の築地本願寺の宗務長に就任
- 現在に至る
- <著書>
- 『日本型プロフェッショナルの条件』(ダイヤモンド社)
- 『築地本願寺の経営学』(東洋経済新報社)2020年11月刊行
■築地本願寺HP:https://tsukijihongwanji.jp/
クラブからのお知らせ令和3年4月12日
会長挨拶
4月12日(月曜日)0時から5月11日(火曜日)24時まで、新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置が適用された事により、またしばらくの間、通常の例会が開催できない状況となりました。本日は、キャンセル手続きなどが間に合わないので、例会場にて開催いたします。感染には十分注意して開催いたしますので、ご協力をお願いいたします。
今日は、2月に入会された池田さんのイニシエーションスピーチです。池田さんのプロフィールが聞ける事を楽しみにしております。池田さんよろしくお願いいたします。
そして、今日のクラブ協議会では、バギオ基金についてビデオを見て勉強したいと思います。次年度から一般財団法人 比国育英会バギオ基金の理事長に、淺田さんが就任されますので、バギオ基金についてもクラブからサポートしたいと思います。それに伴い、当クラブ奉仕活動委員会からバギオ基金に10万円の寄付をする予定です。
(記:髙栁会長)
幹事報告
本日の幹事報告は2点です。
- 本日皆さまのラックに地区大会のチラシをポスティングしております。皆さまはオンラインでのご参加となってしまいますが、5月26日(水)13:00~17:00に開催されますので是非宜しくお願いいたします。オンライン参加方法等のご案内は今月下旬頃になる予定です。
- 本日は池田さんのイニシエーションスピーチの後、クラブ協議会がございます。宜しくお願いいたします。
(記:鈴木幹事)
その他報告
次年度幹事より報告
次年度幹事予定の高倉です。
本日の例会終了後、次年度のプログラム委員の皆様にお集まりいただき、次年度の予定を確認させて頂く予定になっております。
お忙しいところ恐縮ですが、次年度プログラム委員の皆様は、例会終了後ご参集頂きますよう、お願いいたします。
以上
(記:高倉次年度幹事)
第4回クラブ協議会報告令和3年4月12日
先日の理事会にて、今年度、東京六本木ロータリークラブとして初めて、バギオ基金に10万円の寄付を行うことが承認されました。バギオ基金は、フィリピンにおいて、日系または一般の青少年のために、育英基金を提供してその勉学を援助したり、日本への留学を支援することで、日本とフィリピンの親善友好を深めることを目的に設立された基金です。本日のクラブ協議会では、「バギオ基金勉強会」として、11分半の動画をご視聴いただき、バギオ基金への理解を深めていただく機会としました。
さらに詳細を知りたい方や過去のバギオだよりをご覧になりたい方は、比国育英会バギオ基金HPをご確認ください。
(記:鈴木幹事)
卓話『わが半生の地政学 −ソ連崩壊から米中新冷戦まで−』令和3年3月22日
前スイス駐箚特命全権大使 本田 悦朗様
私は、1978年に旧大蔵省に入省して以来、6か所、計16年に亘って海外勤務を経験した。その間、ソ連崩壊や9・11同時多発テロ事件(ニューヨーク)等大事件に遭遇したが、本日は、「資本主義と世界秩序の行方」という観点から、私の体験を皆さんと共有したい。
我々は冷戦体制の下で共産主義、社会主義と闘ってきたが、1991年にソ連が崩壊して以来、現実の経済システムとしては資本主義・市場経済しかないことが示された。ソ連が崩壊して15の共和国が誕生したが、それらの新生国家は資本主義の経験がなかった。それらの国家が市場経済とそれを自律的に運営できる国家システムを構築するにあたって、世界銀行(IBRD、ワシントンDC)や欧州復興開発銀行(EBRD、ロンドン)から支援するのが私の第一のライフワークになった。
他方、我が国においては、1990年代前半のバブル崩壊によって、深刻な需要不足が、「継続的な賃金と物価の下落」をもたらしたが(デフレ)、2008年のリーマン・ショックがそれに拍車をかけた。デフレは経済縮小の悪循環をもたらすので、脱出に失敗すれば、資本主義にとって死に至る病となる。私は、2012年に発足した第二次安倍内閣のもとで、デフレ脱却を目指す「アベノミクス」と呼ばれる政策パッケージを推進するため、安倍内閣のアドバイザーを務めた。残念なことに、未だにデフレ脱却は道半ば。しかし、これを成し遂げない限り、我が国経済に明るい未来はない。これが私の第二のライフワークである。
(ソ連、ロシア)
1986年4月のチェルノブイリ原発事故は、私にとっても決して忘れることのできない大事件である。4月29日の天皇誕生日(当時)、私が大使館で当直をしていたところ、大使館内の電話が一斉に鳴り始めた。ほとんどが日本の記者からの電話だった。ウクライナ方面から風に乗って大量の放射能が北欧や東欧に流れ、特にスウェーデンでは夥しい放射線が出ている、とのことであった。直ちに、大使館の幹部と科学技術アタッシェに出勤してもらい、手分けしてソ連当局に照会したが、先方も全くわからない、と木で鼻をくくったような答え。ウクライナの当局が原発事故を隠ぺいしていたのだ。事故直後の5月1日には、ウクライナ当局はキエフ市民に対し、「この程度の放射線は健康に影響がないから、皆でメーデーのパレードに参加しよう」と扇動していたくらい。その時に屋外に出たウクライナの人々は相当放射線に被爆したようだ。しばらくした後、ウクライナから生徒が次々と特別列車でモスクワに運ばれてきたのを覚えている。
これを見て激怒したのが、ソ連共産党書記長(当時)のゴルバチョフ氏だ。「ソ連のシステムは腐っており、もはや機能していない」と断じた。もともと、ゴルバチョフ氏は改革意欲が強く、ブレジネフ・アンドローポフ・チェルネンコ書記長で弛緩し切ったソ連型システムに危機感を持っていたが、チェルノブイリ原発事故で堪忍袋の緒が切れたということだ。とりわけ、ウクライナ政府が事故を隠ぺいしたということが許し難く、ソ連全体に「内部告発」を奨励し、腐ったシステムを内側から改革しようとした。これを「グラスナスティ」(声を出せ)と呼ぶ。また、対外関係では、ブレジネフ氏が1960年代に、「東欧の国家主権は、ソ連の指導の下に制限される」、いわゆる「制限主権論」を宣言したのに対し(これを「ブレジネフ・ドクトリン」と呼ぶ)、ゴルバチョフ氏は、「東欧は自由だ。自分で活路を見つけろ」と宣言した。これは、フランク・シナトラのヒット曲にちなんで、俗に「シナトラ・ドクトリン」(すなわち、「マイ・ウェイ」)と呼ばれた。それ以外にも、節酒令(ゴルバチョフ氏は下戸)、協同組合や合弁企業の是認(協同組合のレストランは国営に比べて美味だった)、新思考外交など新機軸を次々と打ち出した。これら一連の改革は、「ペレストロイカ」(建て直し)と呼ばれた。わが国の「アベノミクス」よりもずっと広範囲にわたるものだった。双方とも、実現が非常に困難だということは共通しているが。
「シナトラ・ドクトリン」で東欧諸国の社会主義がドミノ倒し的に崩壊するたびに、私は、故中曽根首相の命で東欧諸国に出張し、レポートを書いていた。最も印象的だったのは、チャウシェスク大統領が銃殺された直後に訪れたルーマニアのブカレストである。街は焼け焦げ、日本大使館の壁には銃弾の跡が残っていた。そして、1991年、ついに共産主義総本山のソ連が崩壊した。
1991年夏、ゴルバチョフソ連邦大統領は黒海近くの保養地で休暇を楽しんでいた。ゴルバチョフ大統領がモスクワを留守にしているのを利用し、パブロフソ連邦首相(当時)らいわゆる保守派がクーデターを引き起こしたのだが、結局、民衆の支持を得たロシア共和国のエリツィン大統領が保守派クーデター軍を説得し、ほとんど無血で鎮圧、ゴルバチョフソ連大統領を救出したのである。その結果、モスクワには二人の大統領、即ち、ロシア共和国のエリツィンとソ連のゴルバチョフが併存することになったのだ。しかしながら、二人の力関係は明瞭である。「助けた大統領」エリツィンと「助けられた大統領」ゴルバチョフと。ソ連の運命は決まった。
ここで、チェルノブイリ原発事故と新型コロナウィルスのパンデミックの共通点を指摘したい。隠ぺいである。ウクライナと中国政府はその失敗を可能な限り覆い隠そうとした。そのため、本来避けられたはずの大量の被害者を出してしまった。それがソ連では崩壊の遠因となった。中国政府は、極めて深刻かつ重大な事態を招いたことを反省し、原因を究明し、公表すべきである。
(中央アジア)
さて、ソ連型独裁体制・計画経済が崩壊した後、旧ソ連を構成する共和国や東欧諸国の一部ではシステムの空白が生じた。ソ連崩壊によって、経済規模は崩壊前の約半分に落ち込んだ。世界銀行の金融セクター専門家として大蔵省から派遣され、ウズベキスタン・カザフスタン・トルクメニスタン・アゼルバイジャン担当となったのは、まさにシステムの空白が生じた旧ソ連に市場経済を構築するためである。明治維新後、近代国家を目指した日本が海外から専門家を招いたのと似ている。私の仕事は、中央アジア諸国で、中央銀行・商業銀行システム・証券市場を創り、国際標準の会計システムを導入することの支援であった。国づくりの醍醐味を味わうことができたのは、本当に幸運だった。
ここで、是非、皆さんに知っておいてほしいことがある。日本人は世界で尊敬されているという事実だ。
ウズベキスタンの首都タシケントにナボイ劇場という堂々とした立派な建築物がある。モスクワ、サンクトペテルスブルク、キエフと並んでソ連4大劇場と言われたその建物は、戦後、ソ連に抑留された日本兵が建てたもので、タシケントに出張するたび、その劇場を訪れるのが楽しみであった。1966年のタシケントの街が崩壊するぐらいの大地震にも見事に耐え、現在でもその威容を誇っている。その近くにあったロシア人が建てた建築物は崩壊したそうだ。ウズベキスタンでは子供を教育するとき、「日本人のように学び、日本人のように働け」と教えるという話を聞いた。まじめに働いている日本の工兵とウズベク人女性の間にロマンスが生まれたという話もある。そういわれてみると、ウズベク人は日本人と顔が似ている。その劇場にプレートが嵌められており、ソ連時代は「日本人捕虜がこの劇場を建てた」と記してあったそうだが、独立後、カリモフ大統領(当時)は、「ウズベキスタンは日本人と戦ったことはないし、捕虜にしたこともない」と言って、「極東から強制移送されてきた日本国民がこれを建てた」とプレートを書き換えたそうだ。この劇場は、日本とウズベキスタンの友好のシンボルとなっている。当時の日本人の魂は今でもタシケントで生きている。
(ニューヨークでの9・11同時多発テロ事件)
私がニューヨークに着任した直後の2000年8月、日本銀行はデフレの真っただ中で、これまで政策金利を限りなくゼロに抑えてきた「ゼロ金利政策」を解除してしまった。即ち、金融引き締めを行った。これが政策として全く間違ったものであることは一目瞭然である。その時から、ニューヨーク連銀のスタッフとの議論を通じて、私のデフレとの闘いが始まった。日本国内でも、学習院大学の岩田規久男教授(後の日銀副総裁)他が強烈にデフレ脱出の重要性を説き、政策提言を行ったが、少数意見にとどまった。その政策提言が実現するのは、アベノミクスが開始された2013年に入ってからである。これほどまでに遅れてしまったのは、日本にとって不幸としか言いようがない。なぜ、デフレで消費や投資の需要を喚起しないといけないときに、プラスの金利や均衡財政、即ち、財政・金融の引き締めにこだわるのか、どう考えても理解できない。しかも、デフレ不況の中で、金融機関の不良債権処理を一挙に進めるという。日本の政策の正当性を海外に向かって発信するのが私の仕事であったが、私は正直、頭の中では苦しんでいた。今でも、アベノミクスの成果が元の木阿弥になってしまわないかと懸念している。
2001年9月11日、とんでもない大事件が起こった。9・11同時多発テロである。
当時、私のオフィス(総領事館財務部・財務省ニューヨーク事務所)はウォール・ストリートや世界貿易センタービル(WTC)から至近距離にあった。そのWTCにテロリストに乗っ取られた民間航空機が突入したのである。違法移民が現地でも働いていたので、正確な犠牲者の数は未だに不明だが、確認された犠牲者は3000人弱、日本人だけでも24名の尊い命が失われた。
邦人の犠牲者(行方不明者)のほぼ全員が金融機関の職員だったので、わが財務部が領事部とともに犠牲者とその御家族のケアを担当した。しかし、巨大な旅客機が激突した衝撃とジェット燃料に火が付いた高熱で、WTCだけではなく、周辺のビルも完全に倒壊してしまい、ご遺体が見つからない。日本から来ていただいたご家族にも疲れと焦りの表情が見え始めた。東京から小泉総理や安倍官房副長官(ともに当時)らが来られ、ご家族と懇談されたのだが、ご家族の一人がこう話された。「息子は単なる事故の犠牲者ではない。ニューヨークという世界のビジネスの中心で、名誉ある戦死を遂げたのだ。父親として、それを誇りに思う。」小泉総理の目には涙があふれ、声はかすれ、私はメモをとれなかった。
ご家族の間で、いつ帰国するかという話が持ち上がった。ご遺体が見つからないうちは帰国できない、という意見もあった。しかし、ビル全体が半分溶けてしまった状態で倒壊しているので、御遺体の発見はいつになるかわからない。そこで、私はご家族の意見も聞いたうえで、ニューヨーク市警察(NYPD)と相談し、グラウンド・ゼロと呼ばれる倒壊現場の土をいただき、それを遺骨の代わりに持ち帰っていただくことにした。当然、同僚からは、それは検疫法違反ではないか、という疑問がでた。しかし、現地の土はご遺骨の代わりに持ち帰っていただくもので、検疫法の趣旨からすると問題ないと私の責任で判断した。ご家族には、何かあったら私に連絡するようにお願いしていたが、何の問題もなかったようだ。
(大使としてスイス駐在)
2016年6月、私は大使としてスイスの首都ベルンに着任した。早速、日本を代表する大使として信任してほしい、という陛下からの信任状をスイス政府に奉呈した。写真はその時のものである。
スイス人は、日本人と似ていると感じた。まず、誠実で清潔であり、一人当たりのGDPは世界のトップクラスであるが、傲慢なところがなく、謙虚である。日本人との国際結婚が多いのは頷ける。また、今回の講演のお世話をいただいた鳥居様のノバルティスをはじめ、最先端の優良企業が目白押しであるが、他方、古くからの伝統を重んじる国でもある。その一つが、「直接民主制」である。
直接民主制と言われるものには、イニシャティブ(住民提案)とレファレンダム(住民投票)があり、スイスでは後者は年に4回行われている。これは日本でも地方自治で一部導入されている。スイスのユニークなところは、州民が全員一つの広場に集まり、一挙に州法や州議会議員選挙を挙手でやってしまう州が今でも残っているところにある。これはランツゲマインデと呼ばれ、今では、全26州のうちアッペンツェル・インナーローデン準州等2州だけに残っており(年一回、4月の最終日曜日)、観光化している。街中のホテルは観光客で満室となる。投票の前には、古式豊かな伝統衣装を着飾った州民が街を行進する。投票の秘密は全くないので、議員の選挙等では、挙手した瞬間に手を下す人が多い。賛否を見られたくないからであろう。私は1時間余り見学したが、議長が挙手の数を数えるのを見たことがなかった。地元の人に聞いてみると、たまに賛否の数を数えることがあるそうだ。のどかな議会風景である。
(現在の地政学)
米大統領がトランプ氏からバイデン氏にかわり、今後の世界の米中関係が注目されている。トランプ大統領時代から、米中関係は困難さを増し、単なる貿易戦争だけではなく、世界の覇権争い、さらには、「自由・民主主義・人権尊重・法の支配」対「独裁体制・国際法や人権無視・領土拡張主義」といったイデオロギー対立にまで発展している。
また、中国は陸と海のシルクロード、即ち「一帯一路戦略」によって、発展途上国を債務漬けにし、その債務免除と引き換えに99年の租借権をとったり、中国からの輸出を押し付けたりと自らの拡張戦略の手段としている。我々、自由民主主義陣営は、長年、「中国もある程度経済発展すれば民主化努力が始まるだろう」という期待をもって「関与政策」(engagement)で支援してきたが、それは現在のところ、習近平主席によって、完全に裏切られている。もはや、「封じ込め政策」(containment)しかないであろう。バイデン政権も基本的にはその方針を引き継いでいる。中国の領土拡大主義によって現実の危機となっている尖閣諸島の領有権や、台湾危機、南シナ海の国際法を無視した基地化等を考えれば、我が国もとるべき道はそれしかない。「安全保障は米国と、経済協力は中国と連携すればよい」という意見もあるが、あり得ない。対中国投資なども一線を超えることは許されないであろう。我々が、経済・安全保障で連携する主軸は、米国やインド太平洋諸国であり、環太平洋であり、EU・英国等であろう。それが現実である。
(了)
池田 泰義会員 イニシエーションスピーチ令和3年4月12日
池田 泰義でございます。
本日は貴重な時間をいただき自己紹介ができることをとても光栄に思います。
この場を借りて入会推薦人浅田様、篠塚様に御礼申し上げます。
また高栁会長を始め私の入会に賛同していただいた皆様に御礼申し上げます。
私は国吉林省龍井市出身です。
中国生まれの韓国人ですので母国語は韓国語、中国語も流暢に話せます。
7人兄弟の末っ子で生まれました今は子供4人の6人家族です。
特技:マッサージ、カメラ撮影
趣味:キャンプ、バーベキュー、ゴルフ、釣り、
1998年に勉強を目的に来日しました。
日本に来ましたが日本語を話せなくてアルバイトも見つからないところでした。日本語がわからなくても給料をもらえる仕事を見つける必要がありました。そこで思いついたのが技術を学ぶことを決め中国整体師資格の勉強をしました。理論と実技を学びアルバイト先が決まったのが六本木マクドナルド隣にある宮廷という店でした。今考えれば六本木には多くの思い出がある場所でもあります。
2004年に国士館大学を卒業し
BBAコーポレーションに就職しました。
同年の10月母親の心臓病による突然他界したことで大きく衝撃受けることになりました。
同じようなことは自分の身にも起こりうることだと思いました。後悔のない人生を送ろうと思い人生計画を見直すことにしました。
3番目の就職先から確定の連絡が来て2004年12月29日から貿易仕事を始めました。
仕事内容は生産管理、 中国で工場を開発し確定した商品の生産を依頼、お客様へ納品するまでが私の責任範囲でした。
入社したらいきなり大手飲料の新発売に合わせて企画した商品制作で500万個のBIGトラブルの最中でした。先輩達はトラブルから逃げていたので自分がトラブルを解決するしかありませんでした。お陰様で貴重な経験をしました。
一年間の実務の経験をしたごろ運良く2006年ドイツワールドカップのVIP用のグッズの制作が決まり良い勉強をすることになりました。
仕事を通して一回のワールドカップには延べ45万人の関係者がいることをわかりました。
当時制作した商品はオリジナル腕時計、マネークリップ、ワーレット、CAP、TOTOBAGを制作しました。
同年の年末に大手飲料メーカのベットボトル首掛け販促品1200万個の制作も管理することになりました、パズル600万個、ロボットフィギュア400万個、クリップ200万個を2工場で制作しました。
2007年8月に資本金1000万円でゾルハラ株式会社を設立しました。
3人しかない会社でしたが各自の分野で自信あるメンバだったので不安はありませんでした。
仲のいい台湾人社長が大きいピンバッチ工場を経営していたのでピンバッチの専門会社として営業を始めました。
少ない資金で起業したので資金繰りは大変でしたが台湾の黄社長と他二社は私のことを信頼して後払いだったので何とか経営を維持することが出来ました。
会社設立して翌年年末ごろに代理店を通して大手飲料メーカのハンカチ350万個の引き合いが来ました、頑張って発注をいただきました
お陰様で資金繰りに少し余裕ができて資金を4000万円に増やしました。
100万単位の商品を納めたことでジャニーズ事務と取引がある会社から芸能界の仕事をしてみないかと話がありました、
お陰様で今は半分以上が芸能関連の商品を制作しています。
TOKYO2020オリンピックが決まりピンバッチの需要が増え会社設立9年目にやっと電通グループと直接取引ができるようになりました。
起業時いつか電通と直接取引するのが一つの夢でした。
運よくTOKYO2020の光る商品のライセンシー契約を結ぶことができました。
ですが昨年コロナが発生してオリンピックは延期になり、芸能活動もできなくなりまして会社は取引が大幅に減りました。
3月26日にテレビで4月初旬に開校予定の学校はマスクと温度計の用意が必要というニュースを見て子供の学校に連絡しマスクを1万枚を寄付することにしました。4月3日には納品しました。多めに仕入れてお世話になった方方に各50枚郵送で配ることにしました。
お金が有っても買えない時期だったので大変多くのお礼のメールを頂きました。
大手商社の方からももっと手配できないかと連絡があり本当に日本中にマスクがないんだと実感しました、私のマスク情報を知った先輩がコロナ関連商品の仕入れで困っているところがあるから一緒に行こうと誘われ結果的に政府のコロナ物資の一部仕入れを依頼されることになりました。今は温度計から防護服、アクリルパーテーション、マスク、マウスシールド。Faceシールドなどを在庫して販売しています。
海外でものつくりをすると様々な問題に直面することになります、そのようなトラブルをなるべく起こさずに工場と仲良くものつくりするのが私の強みです。
これからも心に寛容と余裕をもって社会に貢献できる仕事人になれるように努力していきます。
引き続きご指導とご鞭撻の程よろしくお願い致します。
慶事会員一覧
4月のお誕生日
| 4月2日 | 大橋 寬治(おおはし かんじ)さん |
| 4月16日 | トニー・アンドリオティスさん |
| 4月23日 | 杉本 潤(すぎもと じゅん)さん |
| 4月27日 | 山本 章博(やまもと あきひろ)さん |

ニコニコBOX情報
安部 義彦さん
松村謙三さんより、昨年度末の返金分全額をニコニコBOXにご寄付いただきました。松村さん、ありがとうございます。池田泰義さん、イニシエーションスピーチ、楽しみにしておりました。
カトー エミイさん
花や緑が美しい季節となり、心がウキウキします。
松村 謙三さん
なし(寄附)
三田 大介さん
池田さん、今日のイニシエーションスピーチ楽しみにしております。
齋藤 明子さん
池田さん。イニシエーションスピーチ楽しみにしております。
杉本 潤さん
池田泰義さん、イニシエーションスピーチ、楽しみにしています
鈴木 聡子さん
池田さん、今日はイニシエーションスピーチですね。よろしくお願いいたします。
谷口 郁夫さん
緩くなってきて天気の良い日が多くなってきましたね。お散歩してます。
鳥居 正男さん
まだコロナが心配ですが、こうしてお会い出来てうれしいです。
渡辺 美智子さん
池田さん、イニシエーションスピーチ楽しみにしております!気持ち良い天気ですね!コロナ飛んでけ~
山中 祥弘さん
池田様のスピーチ、楽しみにしています。
池田 泰義さん
渡辺様、三田様、鈴木様先週はオリエンテーションありがとうございました。
4月12日のお食事

4月12日の例会出席率(暫定)
- 会員の例会出席数(出席率) 29名(59%)
- ゲスト・ビジターの参加者数 0名
※メーキャップを含めていない暫定の人数です。
次回のプログラム
令和3年5月10日
卓話『読み聞かせの支援活動について』
フリーアナウンサー 内田 恭子様
場所:グランドハイアット東京

